私の学歴と職歴について 社会不適合者のバイトやパートの短期職歴の書き方や面接の言い訳を紹介
私の学歴と職歴
私の自己紹介を見ると、養護学校や特別支援学級に在籍していたと思われますが、学校はギリギリ普通学級に在籍していました。
本当に字も汚すぎて、人に会うだけで大量の汗をかく状態だったので、良くこんなのが卒業できたと思います。
討論主体のアメリカの大学なら100%卒業できなかったでしょう。
大学卒業から電気関連の職業訓練を受けて、私が新卒で入った会社は、自宅から車で通うと、長時間通勤になるため、1人暮らしを選択せざるを得ませんでした。
そうなった事情は、当時、リーマンショックや大地震後の大不景気で、地元の田舎で選べる会社がほぼ存在しなかったためです。
選んだ賃借物件は、会社から30分ほどでいけるほどの近いところにあります。
ただ、水田が周辺にあり、蚊の大量発生に悩まされる訳あり物件でした。
入社したのは、ベンチャー系の製造会社です。
電子機器の設計や製造ラインでの量産を社内で行い、売買することで収益をあげています。
初めの3ヶ月間は、契約雇用で適正が認められれば、その後、正規雇用に移行します。
私は、電気関連の専門技術職として就職した次第です。
その後、正社員になりましたが、1年ほどで辞職してしまいました。
原因は、緊張で耳に声が聞こえず、意思伝達がうまくできなかったことで、周りの社員の信頼を失ったことです。
病院も、やっと精神科に通いましたが、精神科医が怖くて3カ月で辞めてしまいました。
親の障害者への強い偏見、周りや自分の健康を犠牲にしてまで、正社員になって普通の人生を送りたいという汚らしい欲望に、当時の私は抗えず、大人になるまで問題を先送りにしてしまいました。
新卒で入った会社を辞めてから、食事の買い出し以外、家で引きこもる日々が続きました。
初めて無職になり、おかしな解放感に支配されていた気がします。
賃借した部屋も片付けて退去し、結局、1年程で、実家に戻るハメになったわけです。
自殺未遂の遺書のことも、親にバレてしまいました。
それから、失業保険の手続きの日まで、これまでのことを反省し、解決策を模索していました。
しかし、色んなことを試しても、症状は、全然、良くなりません。
病気を治す嘘の情報に多額の金銭をつかい込み、損ばかりしていました。
ここから、失業保険をもらいながら、ハローワークで、再就職活動をすることになります。
最初は、精神障害者の欠格事項になりそうな警備員の求人にも応募していました。
しかし、書類選考を通過し、面接に入る直前で、欠格事項について初めて知り、採用を辞退したわけです。
ハローワークの職員と向き合っているときも、緊張で汗まみれになり、目も合わせることができません。
前の会社でのトラウマが強すぎたため、会社に応募しても、就職活動が怖くなって電話で断ることが頻繁にありました。
もう病気を治すことは諦めて、ヤケクソになっていたのでしょう。
あれほど、新卒の会社で痛い目にあったというのに、私は、まだ正社員への望みを捨てていませんでした。
頭では、もっと負担の少ないアルバイトから始めるべきだと分かっていても、普通の人生を求める高いプライドを破壊するには至っていません。
ただ、今度、大失敗をするようなことがあれば、完全にふっきれるような予感がありました。
希望する仕事は、頭を使う専門技術職から脳に負担を極力与えない単純作業に変更しました。
また、少しでも周囲に迷惑をかけ、危ないと感じたら、すぐ退職することを心がけていました。
しかし、そんな単純作業の求人は、正社員の場合、なかなかありません。
こうして、求人を探す中、1年が過ぎ、大量採用の正社員求人に内定をいただいたわけです。
ただ、面接に来たとき、受験者は、みんな正社員になることを嫌がっていました。
あとで、聞いた話によると、どうやらワケありの企業のようです。
それでも、ほかに行くあてもないので、試用期間から勤めていくことになりました。
ただ、私が採用された社員の中で最年少だったせいか、入社してすぐ、運転関係の業務に配置転換されました。
その業務は、私の希望していた単純作業とはかけ離れており、緊張症状でおかしくなっていきました。
機敏な頭の回転と反射神経が要求され、百種類近くある荷物の置き場所を個別に全部記憶しなければならないために、またパニック症状がぶり返していきました。
そして、ビクビク震えた手で重量のある荷物をぶちまけ、一歩間違えれば、人の命を奪いかねなかった大事故を引き起こしてしまうのです。
関係社員に怒鳴り散らされるのは当たり前です。
バカとしかいいようがありません。
結果、私が退職をきりだすまでもなく、その場で、即日、解雇という結果になりました。
しかし、仮に、あのとき、単純作業をやっていたとしても、前の会社のライン作業のときみたいにミスを繰り返していたでしょう。
そうなると、いずれ、解雇になるはずです。
そして、そのあと、正式に統合失調症と診断され、パート・アルバイト扱いでA型作業所に入所しました。
しかし、作業が遅く、雑談ができないため、周りの障害者に迷惑をかけてばかりでした。
それに耐えきれず、また2カ月で辞めてしまいます。
そして、作業のレベルさえ落とせば問題ないと思い、B型作業所に入所しましたが、100円ショップの製品の作業が遅く、汗で汚してしまったため、1年しか続けられなくなってしまいました。
その後、20代最後の年にA型作業所に復帰しましたが、また作業が遅く、1週間で辞めてしまいます。
そのことで、精神科医がよほど被害妄想が強すぎると思ったのか、就労不可になった次第です。
以上が私の学歴が普通のように見えてボロボロな職歴の紹介です。
私のバイトとパートなどの短期職歴の書き方について
面接で書く履歴書の書き方について、私は期間も正直に書いております。
なぜなら、最悪、職歴詐称で損害賠償を請求されるかもしれないからです。
それでも、こんなに短期職歴が連続で汚い履歴書は、普通、通らないと思います。
書類選考なら、普通に送り返されてしまうでしょう。
ですので、マイナーながら同じ身である方に向けた対処法をお答えします。
それは、履歴書持ち込みの面接だけに就職活動をしぼってください。
実際、書類で見るのと対面で説得されるのとでは、印象がかなり違います。
なので、だめもとでいくと良いでしょう。
面接の言い訳の仕方
短期職歴について、面接官に言い訳するのは難しいでしょう。
中には、ひとつひとつの職歴についてかなり細かく聞いてくる人もいます。
実際、私は、言葉がつまりながらも、最後まで答えきりました。
実際、短期職歴になっても、どう改善したかというエピソードを、苦しそうにしながらも、頑張っている印象を与えれば、中には、採用してくれる経営者の方はいます。
実際、私は、通勤が交通事故で危険な地域だったので、断りましたが、採用はされました。
なので、かっこいい答えじゃなくても、いいのですぐ辞めてしまったことを反省し、これからどう活かしていくか答えればいいと思います。