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広島の原爆の威力とは 死者と被爆範囲を考える

広島の原爆の威力と被爆範囲

1945年8月6日に投下された広島の原爆。

これにより、日本は大きな被害をこうむりました。

では、この原子爆弾リトルボーイ」の威力はどれほどのものだったのでしょうか?

これは、原子の核分裂反応を利用した爆弾であるため、難しい科学の用語で説明しなければなりません。

詳しい科学式などは、ウィキペディアに掲載されています。

なかなか多くの人にとって、広島の原子爆弾の威力は理解しがたいことがらでしょう。

見ただけでは、威力のイメージも難しいかもしれません。

ただし、確かなのは、相対性理論を確立した科学者、アインシュタイン氏は、原子に莫大なエネルギーが秘められていると説明しています。

彼は、原子爆弾の製造に関わり、のちに後悔していました。

確かに、原子爆弾の原料とされるウランが、核分裂反応で、爆発のエネルギーとしては、強力なエネルギーをだすことは確かです。

実際に、原子爆弾は、放射線をだし、強すぎる熱風を放出しました。

このことが、人体にかなり悪い影響を与えたといえます。

まず、ふりかかる熱線のおかげで、熱傷やケロイドのやけどのような傷跡に悩まされました。

しかし、それだけでなく、さらに深刻な影響を与えたのは、放射線による病気です。

特に、高濃度の放射線をあびた人は、高い確率で白血病になり、当時は不治の病で治せないまま命を落としていったらしいです。

まだ、これらは、爆心地からある程度、離れていた場合か、直接爆風を受けていない場合です。

そのため、空中爆発して、爆心地1キロメートル以内の範囲では、6000度の熱が生じ、人体は、ほとんど蒸発してしまいました。

本当に、広島の原子爆弾の威力によって、あとかたもなく、消滅したのです。

また、爆心地2キロメートル以内の範囲では、木造住宅のほぼ全てが燃えています。

爆風による死亡も、威力によるところが大きいです。

爆風は、450m/秒の風がふき、人間の手足や皮膚をバラバラにひきちぎっていきました。

内臓も破裂してしまい、眼球が飛び出てしまうなどの被害があります。

原子爆弾は、まさに最悪の核兵器だったといえるでしょう。

なぜ原子爆弾が投下されたか

当時の日本軍は、負けていて制空権までとられ、本土決戦の戦闘範囲しかなく、空襲まで受けていたのに、戦勝ムード一色でした。

一部の軍部に支配された政府やメディア以外、本当の情報は秘密とされていたのです。

これが、嘘の情報に支配されて、どんなことになっても降伏しない大日本帝国の国民にさせたともいえます。

神風特攻隊の突撃や魚雷に乗り込んでの特攻で死んでいった若者は数しれません。

そんな決して降伏しない日本兵を恐れた米軍は、沖縄本土決戦を行い、日本軍を追いつめていきます。

それで、予想以上の被害を受けた米軍は、それでも降伏しない日本軍に、原子爆弾でトドメをさしたのです。

実は、日本軍側も原子爆弾を持っていました。

しかし、人道的にこれ以上の戦火はあってはならないと考え、大日本帝国は降伏したのです。

日本軍を降伏させるほど、原子爆弾核兵器は威力が大きすぎました。

広島の原子爆弾による死者数

人が消えてしまうほどの威力だった原子爆弾の死者数は、残念ながら、現代の技術を持ってしても正確に把握できません。

ただ、1945年時点で、14万人が死亡してしまったといわれています。

当時の人口から考えて、死者数は膨大な数でしょう。

その後も、放射能による障害や火傷の影響で、亡くなってしまった人も加えられるはずです。

この原子爆弾の威力による被害を忘れないためにも、毎年、8月6日には、平和記念式典が行われています。

日本は、核兵器により被害を受けた唯一の国です。

そのため、核兵器の使用は非核三原則により、禁止されています。

戦争も行うことも、憲法を改正しない限りできません。

今後、また戦争や核兵器にふりまわされる日がくるかもしれません。