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私が普通の人間を辞めた理由 大事故から試用期間解雇で精神科再受診

私の辞職歴の始まり

上司との伝達ミスや社会常識のなさ、仕事の遅さで、新卒から入った会社を辞めてから、食事の買い出し以外、家で引きこもる日々が続きました。

初めて無職になり、おかしな解放感に支配されていた気がします。

おそらく、躁鬱病躁状態に近い感覚です。

一度目に受診した精神科には、実家に帰るため、紹介状を書いていただきました。

ただ、その後、1年近くは、精神科を受診していません。

理由は、私の場合、緊張抑制薬を飲んでも、症状が、中々、おさまらなかったからです。

精神薬は効く人と効きにくい人がいます。

残念ながら、私は後者でした。

もう、自分で治し方を見つけて、解決するしかないと思い込んでいました。

それと、私が障害者になるのを嫌っていたからです。

何より、普通の人間を辞めたという現実を受け入れるのを嫌っていました。

賃借した部屋も片付けて退去し、結局、1年程で、実家に戻るハメになったわけです。

自殺未遂の遺書のことも、親にバレてしまいました。

それから、失業保険の手続きの日まで、これまでのことを反省し、解決策を模索していました。

しかし、色んなことを試しても、症状は、全然、良くなりません。

病気を治す嘘の情報に多額の金銭をつかい込み、損ばかりしていました。

こりない正社員への欲望

ここから、失業保険をもらいながら、ハローワークで、再就職活動をすることになります。

最初は、精神障害者の欠格事項になりそうな警備員の求人にも応募していました。

しかし、書類選考を通過し、面接に入る直前で、欠格事項について初めて知り、採用を辞退したわけです。

ハローワークの職員と向き合っているときも、緊張で汗まみれになり、目も合わせることができません。

前の会社でのトラウマが強すぎたため、会社に応募しても、怖くなって電話で断ることが頻繁にありました。

もう病気を治すことは諦めて、ヤケクソになっていたのでしょう。

あれほど、新卒の会社で痛い目にあったというのに、私は、まだ正社員への望みを捨てていませんでした。

頭では、もっと負担の少ないアルバイトから始めるべきだと分かっていても、普通の人生を求める高いプライドを破壊するには至っていません。

ただ、今度、大失敗をするようなことがあれば、完全にふっきれるような予感がありました。

希望する仕事は、頭を使う専門技術職から脳に負担を極力与えない単純作業に変更しました。

また、少しでも周囲に迷惑をかけ、危ないと感じたら、すぐ退職することを心がけていました。

しかし、そんな単純作業の求人は、正社員の場合、なかなかありません。

こうして、求人を探す中、1年が過ぎ、大量採用の正社員求人に内定をいただいたわけです。

ただ、面接に来たとき、受験者は、みんな正社員になることを嫌がっていました。

あとで、聞いた話によると、どうやらワケありの企業のようです。

それでも、ほかに行くあてもないので、試用期間から勤めていくことになりました。

ただ、私が採用された社員の中で最年少だったせいか、入社してすぐ、運転関係の業務に配置転換されました。

その業務は、私の希望していた単純作業とはかけ離れており、緊張症状でおかしくなっていきました。

機敏な頭の回転と反射神経が要求され、百種類近くある荷物の置き場所を個別に全部記憶しなければならないために、またパニック症状がぶり返していきました。

そして、ビクビク震えた手で重量のある荷物をぶちまけ、一歩間違えれば、人の命を奪いかねなかった大事故を引き起こしてしまうのです。

関係社員に怒鳴り散らされるのは当たり前です。

バカとしかいいようがありません。

精神障害者の廃人となる

結果、私が退職をきりだすまでもなく、その場で、即日、試用期間から解雇という結果になりました。

しかし、仮に、あのとき、単純作業をやっていたとしても、前の会社のライン作業のときみたいにミスを繰り返していたでしょう。

そうなると、いずれ、解雇になるはずです。

単純作業まで否定されてしまったら、どこにも働ける場がないため、私の心の中で、無意識に、『正社員単純作業』という逃げ場をつくってしまったのが、一番のミスでした。

もう、このとき、頭の中の糸がプツンと切れ、すべてのプライドが崩壊した感覚を、今でも、鮮明に覚えています。

もう、私が、社員になることは、今後、死ぬまで一生ないでしょう。

もうどんな仕事もできない無能力者だと思い込むようになってしまいました。

感情が死んで廃人になった影響なのか、お金を稼ぐことへの向上心はなくなり、女性にも何の魅力も感じなくなっていきました。

こうして、もはや自分ひとりの力では、どうすることもできず、精神科の門を再びくぐることになります。

前の精神科の診断書は見せたのですが、『全般性不安障害』から『社交不安障害』に、診断された病名が変更となりました。

そこから、諦めていた闘病生活を再開し、のちに『統合失調症』も発病して今に至ります。