昭和天皇は命乞いしたのか マッカーサーの戦犯処刑を防いだカリスマ性や天皇批判について
昭和天皇にカリスマ性はあったのか
明治維新から戦後に至るまで、大正天皇が病弱でわずかな期間しか天皇の政務を行えなかったので、印象が強いのは、明治天皇と昭和天皇だったと思います。
明治天皇は、幕府よりの思想があったためにこれを嫌った維新志士から孝明天皇が暗殺されたあと、のちにすり替えで天皇の血をひいていないのに、天皇にさせられたとの陰謀が噂されます。
実際、それは真実かどうかは分かりません。
そして、その血を引く昭和天皇は、見た目は、とにかく真面目で実直な君主であるような外見をしています。
当然、戦前は、天皇の人間宣言があるまでは、本当に神様のように日本国民から愛されていたので、そのような帝王学を学んでいなければおかしいでしょう。
昭和天皇は、まず、小さい頃に、日露戦争の陸戦で多大な犠牲者をだすなど、苦い経験をしましたが、勇猛に戦った乃木希典から、質素でぜいたくをしない生き方を学びました。
そして、日露戦争で、当時、海軍最強のロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎から、帝王学の基礎を学んだとされています。
しかし、本人は、東郷平八郎とそれほど接点はなかったように語っています。
その後、昭和天皇は、若いときに、ヨーロッパを訪問したらしいです。
イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、イタリアに行ったとされています。
その後、アメリカにも渡りました。
こうして見ると、王様のような扱いを受けていたようですね。
カリスマとは、非人間性をもつ英雄であり、人をひきつける才能だとされています。
ある意味、天皇というだけで、国民から神様のような目で見られていたので、カリスマ性はあったでしょう。
戦後も、天皇が象徴的な扱いになっても、国民からは常に話題の人となっていました。
昭和天皇の汚点とは
では、ここから、今でも、国民から、昭和天皇が悪いように言われていることを紹介します。
それは、米国との勝ち目のない戦争をなぜ止められなかったという点です。
カリスマ性があるなら、独裁になったとしても、強権で戦争をなぜ止めなかったと批判を受けています。
仕方なく軍部の暴走で戦争を受け入れても、せめて、ミッドウェー海戦で負け始めてから、サイパン陥落あたりで講和をすれば、戦死者の被害も少なくすんだという理屈もあります。
しかし、当時、米国は、日本の無条件降伏しか認めないつもりでした。
わざわざ相手の有利な条件で講和なんてさせてくれません。
戦争は始めることは簡単ですが、終わらせることはとても難しいのです。
したがって、そうなると、沖縄本土決戦や東京や全国の大空襲になるまで、被害を受け入れなければなりません。
なぜなら、日本の無条件降伏を認めるポツダム宣言が発表されたのが、1945年7月26日だからです。
そうなると、昭和天皇が国民の生命を救えるギリギリのターニングポイントは、8月6日の広島の原子爆弾が落ちるまでに無条件降伏ができるかということです。
しかし、結局、広島、長崎に原子爆弾が落とされ、ようやく8月15日に日本政府は無条件降伏を認めるようになりました。
米国側も核兵器の人体実験をしたかったという思惑はありましたが、日本中が破壊つくされたのちの8月15日に、終戦確定の無条件降伏という形になったのです。
これが、後の世に、昭和天皇が批判される点であったのだといえます。
ただし、この点について弁明があれば、昭和天皇が、戦前、心がけていたことは、天皇自身が、政治に極力介入しないということでした。
天皇陛下自身が独裁者として政治を行うことを、極力なくそうとしていたのです。
集団で相談しながら物事を決めるというシステムに口出ししないところが、昭和天皇にはあったのです。
そのきっかけが、田中儀一内閣の総辞職でした。
当時、昭和天皇は、田中儀一首相の落ち度を厳しく叱責し、最終的に死に追い込んだというトラウマがあるのです。
以後、天皇は、政治に口出すことをしなかったのです。
このことが不幸にも、勝ち目のない戦争の悲劇をよびこんでしまったのだともいえます。
従って、昭和天皇のカリスマ性は少しあったかもしれませんが、戦争を止めた英雄にはなれませんでした。
マッカーサーによる戦犯処刑の危機
戦後、無条件降伏をした日本では、戦争に参加した関係者が戦犯として、処刑を受ける運命にありました。
もちろん、昭和天皇も例外ではなかったのです。
米国側の代表者であるマッカーサーは、天皇が命乞いでもしてきたら処刑しようと決めていました。
ところが、昭和天皇は、命乞いをするどころか、自分の命はどうなってもいいから、国民の食糧危機を救ってほしいと述べました。
これに、マッカーサーは感銘を受け、親日になったといわれています。
ただ、このエピソードは、真実かどうかは分かりません。
アメリカも天皇を利用するうえで必要としていたかもしれませんし、天皇が命乞いをしたかどうかも不明です。
真実は、永遠に闇の中です。