障害年金の受給について 生きる意味を考える もらえない人の選別
一般的に初診時の精神疾患の診断から1年半後に役所に申請すれば、障害年金がもらえる可能性がでてきます。
しかし、生活保護も減額されている中、よほどの精神疾患にかかっていない限り、この障害年金はもらえない人になってしまいます。
中には、障害年金受給マニュアルや障害年金申請代行など出回ってますが、有効だとしても、利用する人が増えすぎれば問題になり、禁止されてしまうでしょう。
これは、どの対策・抜け道においても同じことが言えます。
仮にもらえたとしても、あくまで最低限生活できる範囲です。
障害年金2級でも満足に生活できるかが怪しいです。
老後を国民年金だけで生活している猛者もいるが、そんなことができる人は極わずかだでしょう。
精神障害者認定を受けたとしても寿命まで消化試合を続けるようなものです。
身体障害者の方が軽度の障害の人より手厚く保護されていると妬んでも、虚しいだけでしょう。
奴隷のような労働より保護される方がましだと、わざと自殺未遂で重度障害者になる人もいるが、首から下が動かない体になったら悲惨極まりないです。
それこそ本当の生き地獄です。
障害年金さえもらえないグレーゾーンの障害者も存在しますが、働く上で無能力者に限りなく近い立場であるため、転落すると、生活保護ぐらいしかセーフティーネットがなくなってしまうのが現状です。
そんな廃人に近い人種なら、生きる意味を見失ってしまうかもしれません。
普通、生きる意味を聞かれたとして、まず最初に思いつくのが、子孫を残すためという、理由です
しかし、最近では、子供を生んだとしても、生まれた子供が将来不幸になることを不安がり、子孫を残すことに積極的になれない人が増えてきています。
また、生きて戦い、苦難を乗り越え、魂を成長させることに生きる意味があるのだと熱弁する人もいます。
これは、人生を学びの場として、生きる意味を定義する考え方であります。
だが、スピリッチュアルよりの思考で、うさんくさいと言われればそれまでです...。
本来、楽しい充実した人生を送っていれば生きる意味なんてわざわざ考えるようなこともなかったのかもしれません。
生物として生まれて存在したということは、いつか死んで消滅するという事実も内包しているのです。
ただ、人生ハードモードの人から見れば、そんな死んで苦しい思いをしてまで、生きて人生の充実感を味わうことにどんな意味があるのかと、聞きたくなってくるはずです。
もしくは、辛いから生きる意味なんて考えるのでしょうか?
今までこの問題に対して、納得のいく答えを言った人は見たことも聞いたこともありません。
永遠のテーマです。
死ぬ直前で後悔をしないように、今を全力で生きろということなのでしょうか?