忙しいしんどい現代社会 人間の高齢化 コントロールできない死
我々現代人は、生きている以上、限られたパイを奪い合う競争にさらされます。
それを避けることはできません。
辺境の地で無人島暮らしでもしない限りは...。
その競争で勝ち負けがつくことを恐れて、勝負しないのもありです。
限界まで追い詰められたときなどは、おもわず神様に祈りたくなるかもしれません。
しかし、受験、就職、年収、出世等で戦うことから逃げていれば何も残りません。
勝ち残る確率がわずか数パーセントの競争でも挑戦しなければ、勝率は当然ゼロのままです。
最初から容姿、家柄でハンディキャップを抱えながら生まれてきたとしても、生きている以上勝負に出なければなりません。
取り返しのつかない失敗をしようが、残念ながら人生は続きます。
誰も手助けなんかしてくれません。
他人はそんなことにかまってくれるほど、善人ではないし、たいていの人は自分自身のことで精一杯です。
信じられるのは自分の力だけしかありません。
他人から攻撃を受けても、どう判断し対処するかは自分次第なのです。
頭をフルに回転させ、どんな手を尽くしてでも勝負には勝たなければなりません。
そうすれば、挑戦し、努力したという事実は、決して無駄にはならないはずです。
たとえ負け続けの人生であろうとも、死に際で後悔せずに死んでいけます。
口で言うのは簡単だが、挑戦することはすごく勇気がいります。
くじけずに頑張れるでしょうか?
また、理不尽でおかしいことにだって出くわすこともあるでしょう。
例えば、この国では、25歳、30歳という区切りを過ぎるうちに未経験者の就職が一段ときつくなってきます。
つぶしの利く正社員の実務経験を、少なくとも20代のうちに確保しておいたほうがいいのかもしれません。
さらに、35歳を超えれば、転職もほとんど成功しなくなります。
将来もらえる年金も少ないです。
どんどん歳をとるにつれて生きづらくなっていきます。
今、時代は全く先の見えない状況にあるが、少子高齢化が起こることは確定しています。
なので、自分達が高齢者になったら、望む望まないにかかわらず、負担のつけを未来の若者達に押し付けてしまうことになりかねません。
さらに、若いまま美しい状態で死にたいという願望も見受けられます。
昔は40~50歳ぐらいを迎えたら死んでいったが、現在は70~80歳あたりまで生きることが普通になっています。
医療技術の発展はもちろんいいことだが、正直、皮肉なものであります。
当然、誰もが長生きしたいわけではありません。
生まれることよりも死ぬ寿命をコントロールすることのほうがはるかに難しいことです。
安楽死制度を認めるにしても、3万人(実質10万人)の自殺者が出ている有様では、希望者が殺到する可能性が高いです。
年齢で差別されたり、挑戦するチャンスが不当に狭められたら、歳を取ることが嫌になってしまうことがあります。
それでも、残念ながら、生きている以上、あがきつづけるしかありません。
現代社会は、忙しいし、しんどいです。