犯罪者の気持ちが分かる現象 冤罪の恐怖や加害者と被害者の苦しみ
善悪の基準は複雑です。
車に乗って故意ではなくとも、やむを得ない形で交通事故を起こしても加害者になったりします。
正当防衛でも度を越しすぎると、有罪も免れません。
知らず知らずのうちに組織の汚職にまきこまれることもあります。
つまり、誰にでも犯罪加害者になる可能性を秘めています。
だからといって、無法地帯とすれば社会が混乱するはめになるので、人間が線引きをして、法律によって規制をかけているにすぎません...。
誰だってそうだが、理不尽な容疑をかけられた加害者にだけはなりたくありません。
無実の罪をきせられても、冤罪として扱われるまで、途方もない時間がかかります。
もし、犯罪者になってしまえば、運命だと思って受け入れるしかないのでしょうか?
この国では、マスコミ・ワイドショーの煽りによる被害者感情の高ぶりは、めっぽう強いです。
そのため、時として、その非難の矛先が、加害者ではなく、加害者の家族にいってしまったりします。
そのため、一度犯罪歴がつけば、家族ともども白い目で見られがちです。
嫌がらせ、いじめなどに遭うこともあります。
外国では、家族ではなく、個人の罪として扱われます。
日本ならではの悪習です。
もちろん、被害者も、犯罪が権力を持った人達によってもみ消されたり、一生、戻ることのない傷を負ったりしてしまいます。
つまり、加害者や被害者とも深い悲しみを背負うのです。
双方ともそれを乗り越えた上で前に進むしかありません。
また、犯罪者の根元を探っていくと、強烈なコンプレックスにいきつくことが多いです。
家が貧乏だったりすると、進路が限られてしまいます。
生まれた顔がブサイクだったりしたら、性格もひねくれていくかもしれません。
都会ではなく、金持ちを目指しづらい田舎に生まれてしまったら、その格差に苦しむことになります。
親が偏った宗教に入っていて、その宗教の教えを、むりやり信じ込まされたりもするのです。
今では何の有効性もない、時代遅れの価値観を、思考停止されたまま、押し付けられます。
介護のストレスが限界を超えてしまうと、何もかも投げ出したくなるかもしれません。
ほかにも、親から虐待を受けていたり、生まれてから障害を持っていたり、不条理な現実にさらされることもあるでしょう。
そして、そのような状態が、周りと比べて、自分にしか起こっていないことであったとき、『何で自分だけが』と思い込み、やり場のない怒りを溜め込んでいくハメになります。
どうしようもない怒りこそが、人を狂わせていく元凶です。
狂人になってしまえば、もう手遅れでしょう。
今、沸点の低い大人達が激増しています。
自分が、死ぬまで犯罪者にならないと言いきれるでしょうか?
ある意味、犯罪者の気持ちが分かる状態です。
ただし、被害者の苦しみも、当然、理解できます。