親ガチャで学力が左右されてしまう日本!頭の良さが遺伝される理不尽
日本は、貧富の格差が小さいものの、生まれた家によって、環境が違ってきます。
その中で、大きなウェイトを占めるのは、親の財力なのです。
お金さえあれば、私立の学校に通えますし、都会に下宿することだってできます。
その進学費用が、貧乏人の親にとって、大きな負担になっているのです。
貧乏であれば、進路の選択肢が少なくなります。
ただ、初めから、貧乏だから、ここまでが限界だと言ってくれる親はいいです。
小さい頃から、準備はできますし、それに沿った進路を歩めばいいです。
しかし、問題なのは、貧乏なくせに、みえをはる親だと思います。
お金がないくせに、合格した大学に進学しようとすると、子供に学費をどうにかするようにせまってくるのです。
奨学金を借りさせて、人生のハンデが拡大していくことでしょう。
親ガチャで、貧乏な毒親にあたってしまうと、学力の低下は避けられません。
そうならならいように、小さい頃から、計画的な人生をあゆむべきです。
生きていると、頭の良さが遺伝されてしまう、理不尽な光景を目にします。
親の物忘れの激しさや、不器用なところを見ると、情けなく思ってしまうかもしれません。
そして、自分は、負け組の遺伝子を受け継いでいるのだと、絶望してしまうでしょう。
こんな状態で、人生のばん回策は、あるのでしょうか?
これは、脳を移植しない限り、解決が困難な問題だと思います。
ただ、脳みそが変わるということは、別人になってしまうということです。
その点、ロボットであれば、部品を変えれば、性能を変えられるので、便利だと思います。
人間は、生き物ですから、ある程度、能力に偏りがでてしまうのです。
生まれた時点で、人間の能力が決まってしまう、残酷さがあります。
能力主義で、平等をとなえていても、そんなにきれいごとですむ世界ではありません。
まだ、身分制度があった時代ならば、言い訳ができたかもしれません。
しかし、能力主義の世界では、努力不足という一言でかたずけられてしまうのです。
これは、ある意味で、とても非情なことだと思います。
人間の能力は、努力だけでは、どうにもならない部分があります。
当然、生き物ですから、突然変異だってあり得るのです。
能力主義で理想を唱えるのは、かなりかたよった主張だといえるでしょう。
自分に力がなければ、どこまでも、底辺に落とされていくのです。
セーフティーネットのない国であれば、コジキになるしかありません。
能力主義は、人間の選別をしてしまう、差別的な思想でもあります。
確かに、能力のある人に、重要な仕事をまかせることは大事です。
ただ、それを、生きていけるかというところまで、押しつけるのは、問題があります。