餓死 後遺症への恐怖 即死できない苦しみ 見せかけの勇気 飽食の罠
戦後、空襲によって荒廃した我が国は、深刻な食糧不足に陥った。
道端には、大量の餓死者がいたるところで横たわっていたというのだ。
今の飽食の時代から見れば、とても考えられないことである。
24時間営業のスーパー・コンビニや飲食店では、賞味期限を過ぎた食べ物は簡単に捨てられていく。
商品である以上、無料で配るということはできないのである。
そんなことやってしまったら、商売が成り立たない。
仕入れ代の返済はどうするのか?
雇ってる従業員の給料や雇用はどうするのか?
潰れてしまったら解雇され、餓死予備軍を増やす悪循環におちいる。
発展途上国に配るといっても、その前に食べ物が腐るだろう。
輸送費のコストは慈善団体が払ってくれるのか?
内戦のひどい地域で、地雷の罠や銃撃への危険を犯して食糧を運んでくれる人はいるのか?
その人員への給料などの見返りは果たしてあるのか?
貧困にあえぐ政府が食糧を人民に配らなければ何の意味もなさない。
人間、栄養をとらず、何もしなければそのまま死んでいく。
ただ、死ぬまでの苦痛に耐えなければならない。
エネルギーがゼロに近づいていくわけだから、骨もボロボロになり、目も見えなくなっていく。
内蔵は機能を停止し、生命を維持できなくなる。
呼吸もどんどん荒くなり、立つ力も失われていくだろう。
食べ物がなくなれば、まず体の脂肪がエネルギーの代わりに使われる。
その次は、筋肉が消費され、体重は激減する。
太っている人は、痩せている人より飢えには強い。
ただ、人間の体の60%以上は水分で成り立っている。
水を飲む飲まないで、生存できる期間がかなり違う。
自殺同様、途中で発見され、治療を受けても、運が悪ければ後遺症を背負うハメになる。
自分の身体が不自由になる恐怖におびえながら、長時間、断食をせざるを得ない恐怖。
せめて痛みを感じない即死ならどんなに楽なことか。
食べ物なし・水なしなら一週間、食べ物なし・水ありなら1ヶ月程度が、餓死へと至る期間だとされている。
ただ、人の体型によって、かなり期間にズレがあるので、正しいとは限らない。
他人に監視されているような状態か、追い詰められた状態でない限り、餓死を成功させることはできない。
死後にあまりの炎天下で死体が腐って、体液がこびりつくことだってある。
痩せていくのにお腹はぼっこり膨れた死体。
胃の中の細胞が密着し、胃液で内蔵が溶かされていく。
餓死自殺をしたいという人もいるが、そう簡単には死ねないのだ。
あの北九州市のおにぎりが食べられず死んでいった餓死者は、絶望のあまり、生活保護の窓際政策の餌食となった。
よほど避けられない事態に陥らない限り、餓死は難しい。
見せかけの勇気ではどうにもならないのだ。
並の人間なら、途中で怖くなって食べてしまうだろう。