持病の苦しさから自殺できない高齢者 兄弟に他殺を依頼し殺害死 魂の成長
長生きし、続く持病の苦しさから、死ぬことに希望を見いだす男性。
しかし、自殺を決行するにしても、未遂に終わる確率があります。
そうなると、今以上に身体が損傷し、再び自殺することができない体になります。
首吊りやヘリウム、練炭自殺は、主に脳内へ酸素の供給をストップする死に方です。
そうなると、脳細胞が破壊されてしまい、二度と修復することができなくなります。
そうした恐怖から、年間3万人の自殺者者の倍の数だけ自殺未遂者がたくさんいるのです。
いくら成功しやすい首吊り自殺といえども、未遂で終わる確率はかなりあります。
良く人生は魂を成長させるシレンという考え方があり、自殺は途中から逃げた行為だとされています。
スピリッチャルの考えやキリスト教の思想では、自殺そのものが非難される行為なのです。
しかし、何を好んで苦しい人生をあゆまなきゃいけないのでしょうか?
今を苦しんで生きている人々からすれば、原罪の考えそのものが良い迷惑なのです。
これでは、そんな魂の修行を定義した者を憎まずにいられなくなります。
もし、そんな人間界のルールを定めた者がいるのであれば、それは自分勝手な考え方なのでしょう。
もううんざりした人間であるならば、一生、どんな生物にも生まれ変わりたくないと思うかもしれません。
従って、安全な魂のシェルターでずっと閉じこもっていたいと希望しかねません。
そんな自殺できない不健康な苦行から逃れるべく、高齢者の男は、兄によって殺害されることを望みました。
他殺によって、死ぬことへのためらいを少しでも防ごうとしたのです。
そうすれば、少なくとも未遂に終わることはありません。
刺して殺害した側の兄も、自身が罪を背負う覚悟があったのでしょう。
普通の人間ならば、正気を疑う弟の願いなのです。
それでも、兄弟の想いをくみとり、殺してしまった無念さは当事者でないと理解できません。
せめて迷惑をかけずに死ぬべきだったとしても、弟に自殺する才能がなかったのかもしれません。
自殺にも成功する運や不器用などが関わってきます。
いくら、兄が、老い先短い高齢者だからといって、刑務所の生活は負担になってきます。
本人が受刑者となる気をを持つのは恐ろしいことです。
弟の遺書でこれが自殺だとしても、日本の法律では他殺と認定されてしまいます。
弟の考え方が甘いという意見もありますが、本人が罪を受け入れる以上、どうしようもありません。
もし、これで安楽死があるならば、弟は選択死を望んでいたことでしょう。