人生100年時代で生きる義務はあるか?求められる安楽死の死ぬ権利
医療の発達や、栄養状態の改善によって、先進国では、高齢者が長生きする傾向にあります。
まさしく、人生100年時代の到来です。
しかし、長生きをすることで、先進国は、非生産的な国民を多くかかえることになります。
このことは、同時に、福祉のコストが増大することにつながります。
各国は、必ずしも、長生きすることに称賛していないようです。
高齢者本人も、老いた状態で、何年も生きることを望んでいるとは限りません。
弱りきった状態で、他人に介護されて、人生をゆだねるような真似は、できる限り避けたいはずです。
昔は、現代の中高年のような年齢で亡くなる方が多かったです。
そのため、資金的に老人を世話するコストは、少なくてすみました。
しかし、高齢者が長生きすることで、周りの人は、介護保険や医療費を負担しなければなりません。
医療についても、治療することを正義とする考え方は、必ずしも、正しいとは限りません。
ときには、患者の本音を聞いて、延命治療をやめる選択肢が必要になります。
そもそも、高齢者が、それほど生きる義務はないのです。
人が望んだように生き、死にたいと思った時点で、命を断てるのは理想的かもしれません。
しかし、これを若い人に当てはめてしまうと、大量の若者が命を断ってしまうでしょう。
現在、日本の自殺者は、2万人ほどいるらしいですが、未遂者を含めた潜在的な数だと、10万人だと推計されます。
潜在的な数を当てはめると、世界一、自殺が多い国になるのです。
なので、安楽死で死ぬ権利をあたえるのは、高齢者限定にすべきかもしれません。、
また、スピリチュアル的に、途中で自殺することは、魂の修行の放棄として、厳罰をかされます。
キリスト教でも、自殺は、地獄行きになってしまうのです。
だから、信じている宗教で、自殺を拒否する人もいます。
倫理的に、そんなことが許されるのか、難しい問題です。
そもそも、安楽死は、日本国憲法で許されるのか、議論しなければなりません。
もし、認められないのなら、憲法改正をする必要があります。
さらに、昔の時代は、高齢者は、うば捨て山に捨てられていた悪習があります。
当時は、経済的に高齢者を支えられる状態ではなかったのです。
その点、今の時代は、国民の権利を認められて、幸せだと思います。
少子高齢化で一番影響を受けている日本が、高齢者を支えるコストをどう解決していくか、各国は注目しています。
日本の対処法が、先進諸国にとって、手本となるわけです。
できれば、悪い手本にならないでほしいですね。