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インカ帝国とアステカ帝国が滅亡した理由!スペインの過去の黒歴史

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インカ帝国の滅亡理由

15世紀に大航海時代が始まり、スペイン人が労働力や豊富な資源を求めて、南米アメリカ大陸にやって来ました。

当時、南米アメリカ大陸には、豊かな金銀が眠るという風潮に、多くのスペイン人が陶酔していったのです。

ここから、多くのスペイン人が、探索を始めました。

これが、のちに南米アメリカの原住民である、インディオの人口激減の主要因となります。

つまり、天然痘流行の原因になったのでした。

さらに、そこで、フランシスコ・ピサロという人物が、広大な領土をもつ帝国を見つけたのでした。

その帝国には、大量の金銀が運ばれてきます。

これが、インカ帝国の発見につながります。

ピサロは、その様子を見て、スペイン王から征服許可をもらい、侵略を行おうとします。

インカ帝国は、帝が亡くなったことにより、皇位継承争いが行われていました。

かなりひどい内乱で、国力は、かなり落ちていったのです。

ピサロは、インカ帝国の皇帝に直接会って、どうにか関係を結ぼうとします。

それにのった皇帝が、軍を引き連れて、ピサロの前にやって来ました。

ピサロが神の心にしたがって、友好を結ぶように説くと、インカ帝国の皇帝は、スペイン人の非道な行いを糾弾し、拒みました。

そうすると、無礼な行為だとして、ピサロが軍を出動させます。

数のうえでは、はるかにインカ帝国軍がまさっていましたが、鉄製の武器やよろい、火縄銃、騎馬隊に抵抗することができず、その場で制圧されてしまいます。

インカ帝国軍には、騎馬兵がおらず、石や青銅で作られた武器しかありませんでした。

あとは、ピサロが望んだように、金銀の財宝が手に入りました。

皇帝は、引き続き捕らえられ、キリスト教に改宗し、絞首刑に処されたようです。

インカ帝国は、皇帝争いの内乱に、天然痘などの疫病の流行、時代遅れの武力によって、滅亡してしまったのです。

アステカ帝国の滅亡理由

今のメキシコの地にあるアステカ帝国には、16世紀ころから、スペイン人がやって来るようになりました。

その頃から、インカ帝国同様に、天然痘などの疫病が流行します。

これによって、彼らの民族の人口は激減します。

さらに、スペイン人の容姿が、アステカ族が崇拝していた神と似ていたため、スペイン人そのものを恐れていました。

なので、金銀財宝を渡して、立ち去ってもらいたかったわけです。

しかし、またもや、スペイン王から征服許可をもらっていた、エルナン・コルテスという人物が、皇帝に会おうとします。

ところが、神同然の姿をした彼らが、軍で脅しをかけると、早々に降伏してしまったのです。

しかし、アステカ族の皇帝は、反撃にでます。

一時は、コルテスの軍勢が撤退の憂き目にあうのです。

ただし、アステカ族の乱暴な税の取り立てや、残虐性に対する評判が悪かったので、コルテスの反乱勢力は、膨大にふくれあがりました。

この大軍で、アステカ帝国を攻めて、帝国は、滅亡してしまったのです。

アステカ帝国は、乱暴な領土支配や、天然痘の流行、信教の偏った崇拝によって、滅びてしまいました。

インカ帝国アステカ帝国歴史観

実は、インカ帝国では、滅亡した後も、国を再興するために、反乱が続発していました。

スペイン人も多大な犠牲を出しながら、戦争していたのです。

アステカ帝国も、最後の戦いでは、勇猛に戦い、かなりの奮戦をしました。

ところが、戦いは、むなしく、征服者の勝利に終わったのです。

この滅亡の現象について、やはり、主要因になってのは、天然痘の流行でした。

もし、天然痘がなければ、ピサロもコルテスも、帝国を征服することは不可能だったでしょう。

どんなに優れた装備をもっていても、膨大な数の暴力には逆らえません。

スペインでは、ピサロやコルテスが英雄視されています。

紙幣に、その人物の顔が映しだされているくらいです。

ただ、アステカ帝国インカ帝国があった旧植民地では、あまり良い評判ではありません。

かなりの暴虐を働いた者として、歴史に名を残しています。

このように、スペインの過去の黒歴史は、冷酷で、暴力に満ちている側面があるのです。