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スペイン内戦を分かりやすく説明する!フランコ将軍のファシズム政権

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スペイン内戦の始まり

スペインの内戦は、1936年に始まりました。

この内戦を簡単に説明すると、地主・教会・資本家・軍隊の特権階級と、労働者・小作農民の被支配階級による戦争なのです。

スペインでは、王政が廃止され、共和制による政府が樹立されていました。

この体制下では、総選挙の結果、社会主義共産主義に偏った、政権が勝利しました。

つまり、労働者や農民の待遇を良くするために動いていたのです。

これを、人民戦線政府と呼びます。

彼らは、旧来の地主や資本家の権利縮小を考えていました。

改革によって、得られた権利を、農民や労働者に分配しようとしたのです。

こうした政策は、フランス革命ロシア革命を、スペインで実行させようとする動きでした。

日頃、資本家や地主、教会に支配されてきた労働者階級が反旗をひるがえしたのです。

これにより、スペインの民主化が推し進められるはずでした。

しかし、特権階級は、こうした政策を、当然、良しとはしません。

人間は、そんなに都合の良いようにできていないのです。

彼らは、軍部を交えて、反乱を計画していました。

そこで、フランコ将軍を含んだ軍部に、クーデターをかきたてたのです。

反乱の長期化

軍隊が反乱を行って、労働者や農民は、彼らに対抗しようと、武器を持って、立ち上がります。

彼らの猛烈な反攻により、一時は、共和国政府陣営が、優勢に進んでいました。

反乱軍は、多大な犠牲をだして、ここまでかと思われました。

しかし、ここで、大きな味方があらわれます。

それは、ソ連共産主義の拡大を嫌った、ファシズム勢力のドイツ、イタリアでした。

彼らは、積極的に武力介入して、戦力を増強させました。

特に航空部隊の協力が、大きな戦果をあげたのです。

兵力や経済的な援助もおしまず行われ、フランコ将軍の内戦勢力は、膨大にふくれあがりました。

これでは、共和国政府も、他国の援助がなければ、立ち向かうことができません。

そこで、フランスやイギリス、ソ連の援助を期待しました。

しかし、フランスやイギリスにも、当然、資本家がいます。

彼らは、社会主義の拡大を嫌っていたのです。

なので、フランスやイギリスは、不干渉の立場をとりました。

そして、最後の頼みの綱は、ソ連だけとなりました。

ただし、ソ連の援助は、ドイツ、イタリアほど、大規模なものではありません。

これでは、共和国政府が倒されるのは、時間の問題でした。

政府は、戦争に不慣れな人民をまとめあげようと、奮闘しました。

フランコ将軍によるファシズム政権

フランコ将軍による軍部の反乱は、合理的な戦争の意義がありません。

単純に言えば、旧来の既得権益者による反抗だからです。

なので、右翼団体の活動としての、絶対的な大義名分が必要でした。

彼は、独自に政党を立ち上げ、党首となりました。

この党は、ファランヘ党と呼ばれます。

スペインの内戦では、ドイツ、イタリア勢力に嫌悪した外国人が、民兵となって抵抗することがありました。

スペイン内戦は、単なる国内反乱ではないのです。

他国を巻き込んだ、国際紛争に発展していました。

その後、共和国政府は、長期にわたって、フランコ軍と戦いますが、しだいに、敗北していきました。

結果として、1936年に、スペイン内戦は、フランコ軍の勝利に終わります。

この後、スペインを支配したフランコ政権は、それほど、ファシズム色の強い政権ではありませんでした。

政治的な考えはバラバラで、まとまりを欠いていたからです。

この点は、ナチス政権のようにはいきませんでした。

第2次世界大戦後のスペインは、連合国側の戦争勝利によって、世界的にも孤立していたのです。

フランコは、王政を復活して、自らが摂政となりました。

しかし、フランコは、最終的に暗殺されて、彼の支配は終了します。