現在のロシアは資本主義か社会主義のどっちなのか?ソ連崩壊から独立
現在のロシアは、資本主義国家として、社会が機能しています。
具体的には、1991年のソ連崩壊から、社会主義が崩壊して、ロシア連邦として独立することになります。
なので、その頃から、資本主義についての考え方が広まっていったのです。
ロシアは、国土はかなり広い国ですが、大部分の土地は寒冷化しています。
そのため、農業生産量は、それほど多くなく、GDPも、予想しているより低いです。
しかし、石油や天然ガスの資源にはめぐまれており、経済的に豊かな側面もあります。
現在、ロシアは、諸外国に対して、強硬手段として、戦争に手をだすことがあります。
ソ連時代よりも、影響力は小さくなりましたが、いまだに、軍事力はそれなりに保持しています。
一時期、無理をしてでも、アメリカ合衆国とわたりあった国ですからね。
ソ連誕生の経緯
では、なぜ、ソ連時代に社会主義が通用しなくなったのか、考えてみましょう。
ソ連が生まれるきかっけになったロシア革命は、1917年に起こりました。
これは、当時、ロシア帝国の特権階級による横暴に対して、農奴階級の国民が不満をもって行った革命です。
ロシア帝国では、他の欧米列強にあるような国民国家は、いまだ浸透しきっておらず、識字率もわずかしかありませんでした。
そのため、皇帝による独裁政治がまかり通っており、国民は搾取されるだけの状況だったのです。
そんな中、ロシア帝国は、様々な戦争に介入しようとしました。
戦争を繰り返した結果、軍事費がはねあがってきます。
特に、総力戦と言われた、第一次世界大戦では、多くの兵力や物資が必要になったのです。
その費用を、皇帝は、国民からしぼりあげる形で、無理矢理、搾取しようとしました。
こうして、低い階級の国民は、生活が苦しくなり、皇帝に対して反抗心をもちます。
そして、1917年、王政は打倒されて、レーニンによるソビエト社会主義共和国連邦が成立します。
設立当初のソ連では、レーニンが、部分的に資本主義をとり入れて、社会主義の欠点を補おうとしました。
それに、対外戦争は行わない方針で、無理矢理、社会主義の考えを押し付けるマネはしなかったのです。
しかし、レーニンの寿命は限りがありました。
1922年に、後継者の座をスターリンに奪われて、ソ連共産党書記長に就任します。
スターリンのとった路線は、対外戦争の拡大と社会主義批判者の厳罰、党内の特権階級の形成をまねきました。
スターリンの一党独裁が成立して、農奴だった人々は、集団農場に強制移住させられたのです。
それは、農奴の資産である、土地や金銭を全て没収する政策でした。
結果として、穀物の輸出国だったソ連は、外国から穀物を輸入しないと生活できないくらいまで、生産量が落ちます。
一生懸命労働しても、なまけている人と労働は変わらないので、モチベーションが続かないのです。
さらに、資本主義陣営のトップだったアメリカ合衆国と、軍事競争が行われました。
対外的には、費用のかかる戦争を繰り返し、国民生活を圧迫したのです。
スターリン死後も、後継者が、無謀な宇宙開発を行い、国費を使い込みました。
そんな中、資本主義陣営と共産主義陣営の経済格差が広がってゆきます。
1991年のソ連の崩壊は、こうした国民の不満がたまった結果として起きた出来事です。
ソ連が崩壊した原因は、レーニンが、人間は、堕落した怠け者だと把握できなかったことにあると思います。
ソ連の官僚や政治家が、国民のために、誠心誠意、頑張れるならば、確かに理想的です。
しかし、実際は、政治機構に汚職や腐敗が進み、権力を人間は手放そうとしません。
社会主義は、理念でいえば、資本主義以上に優れています。
ところが、現実には、欠陥のある政治体制なのです。
現在、中国が覇権国家として、勢力を伸ばしています。
しかし、中国内の国民の生活水準は、富裕層や中間階級を除けば、日本以上に低い水準にあるのです。
中国は、部分的に資本主義をとりいれていますが、あんな広い国土や多民族を民主主義で治めるのは無理があります。
ロシアのように、大転換することはあまり考えられないでしょう。